要点整理

原発と権力 ——戦後から辿る支配者の系譜
山岡淳一郎 著

はじめに

P.9
 現代の科学技術は、真理の探究というナイーブな段階を終え、巨大な産業と結びついて自己増殖していく。科学技術も資本主義の枠内で生き長らえる。政・官・財・学・報のペンタゴンは、そこに同調して利権を膨らませたともいえるだろう。

P.11
 原子力利用と核兵器開発は、連結双生児のようにつながっている。核開発を原子力利用と言い換えても、原理は同じだ。原子力は政治の風向き次第で平和利用と呼ばれ、軍事転用と警戒される。発電のための「ウラン濃縮」や「使用済み核燃料の再処理」によるプルトニウム抽出は、核オプションに連なる。だから権力は原子力に長い手を伸ばそうとする。

P.12
 第二次世界大戦中、アメリカはナチス・ドイツの迫害を逃れた亡命ユダヤ人科学者を総動員して「マンハッタン計画」を推し進め、広島と長崎に原子爆弾を投下した。ソ連は、対抗して1949年8月に核実験を成功させ、核兵器を手にする。社会主義体制のソ連が急追してくる状況に米国は蒼ざめ、西側のイギリスも核実験に踏み切った。
 東西両陣営に対して「第三の極」たらんとするフランスは、シャルル・ドゴール大統領の強いリーダーシップのもとに核開発を進め、やがて米ソ英に次ぐ四番目の核兵器保有国となる。

P.13
 米国は、核戦略に原子力の平和利用というメニューを加えつつ、核兵器開発を続けた。翌54年3月には南太平洋のビキニ環礁で水爆実験を強行する。何も知らずに操業していた日本の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が被曝し、無線長の久保山愛吉は「原水爆の犠牲者は、私を最後にしてほしい」と言い残して息をひきとった。
 そのような冷戦のまっただなかで、日本政府は原子力利用に乗りだしたのである。敗戦後、連合国軍の占領下に置かれていた日本が、サンフランシスコ講和条約を締結し、主権を回復していく過程で、原子力は「国策」に定められている。
 この出発点は、しかし「米国主導の原発導入」と言い切れるほど単純なものではない。社会主義に共鳴する勢力のなかにも原子力の平和利用を訴える者はいた。「広島、長崎の悲劇をくり返すな」と市民が人道的に反対する一方で、左右両翼に原発人脈が形成されている。その人脈の一端は戦中の「大政翼賛会」に連なる。庶民は敗戦で体制が変わったと早合点したが、軍国を陰で支えた官僚は生き残り、経済成長に狙いを絞って統制的手法を再起動させた。原子力は、支配体制を再構築するには格好の標的だった。

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